蒸気機関車D51三重連発祥の地

当社は、第二次世界大戦の最中、昭和17年に富士製鉄(現、新日本製鐵)広畑製鉄所(姫路)に製鉄の副原料である石灰石を供給する事を目的に開発された鉱山であります。

 創業者である静 藤治郎は昭和10年代初頭、当時軍需的に伸長著しい鉄鋼産業をまのあたりにして、その副資材である石灰石が大量に必要になると考えました。そして、現在の新日本製鐵株式会社広畑製鉄所と石灰石の販売納入契約を結び、昭和14年より当鉱山の開発に着手しました。

 物資不足のなか幾多の困難を乗り越え、専用側線、生産設備、積込設備等を完成し、昭和17年2月11日広畑製鉄所への初出荷となったのであります。この日を記念し当社の創立記念日とされ今日に至っています。

 その後足立・広畑(姫路)間に専用列車が設定され、製鉄用石灰石のピストン輸送が行われることになったのです。当時鉄は国家の重要な資材で軍需物資製造の必需品でもあり、その増産は国家命令でもありました。残念な事に日本は敗戦となり、先人が困難の中必死で生産に努力して生産した鉄を使った「戦艦」「潜水艦」「輸送船」「大砲」等、幾多の血と汗と涙の固まりは人間の命と共に海のもずく等になってしまいましたが、その歴史だけは記憶に留めておきたいものです。幸い当時の鉱山開発・製造に携わった人の自叙伝的記録が残っているので、文化・歴史のコーナー内に掲載しております。

さて、表題の「D51蒸気機関車」ですが、敗戦後数年の期間をおいて今度は戦後復興の民需用鉄鋼の大幅増産のため再び広畑製鉄所に石灰石を運ぶ役割をになうことになり、伯備線の山坂の多い鉄路、重量物である石灰石を運ぶため三台を連結して牽引するようになったのです。その勇姿は今でも思い起こされますが、時代の移り変わりと共に公害問題等の理由などでSLからディーゼル機関車に替わったことや、電化や国鉄の民営化等の関係で列車輸送の廃止が決定され、専用側線も残念ながら廃止になって行ったのです。

 

このように全国的にも有名な伯備線のD51三重連は、当社と密接な関係があったことをお知らせすると共に、この思い出多い蒸気機関車の写真や昔の風景等もこのコーナーを通じ、順次紹介していきたいと思います。今回は昭和30年代から40年代にかけての出荷風景と現在の足立駅や駅周辺の風景を掲載しました。

関連サイト(外部サイト)

鉄道模型

2012年に、KATO模型より当社の石灰輸送貨物車の模型が販売されました。

詳細は、KATO模型[特別企画品]: 伯備線石灰輸送貨物列車を御覧ください。

足立石灰とD51蒸気機関車

現在の足立駅とその周辺