備中神楽とは広く備中地域に伝わる神楽を総括して言いますが、これが研究・記録・宣伝の点で川上郡が代表的存在となり、重要無形文化財の指定を受けています。しかしこの阿新地方にも相当古くから神楽社中が各地にあり全盛を極めた時代もありました。阿新地域の備中神楽も川上郡のものと比して年代的に早いか遅いか記録が無いため詳細は不明ですが、この地域に古くから伝わる貴重な郷土芸能として、その保存や活動の一助になればと紹介させていただきます。
この地域の神楽は、貧しい時代の収穫後の一息に、多くの人を楽しませてくれた秋の風物詩です。
記録に当たってはこの地方の有名社中で「神郷神明社」さんにご協力いただきました。
写真:2003年4月26日(土)足立会館こけら落としより
(写真をクリックすると拡大写真が見れます)
呉座を清める儀式でこれも「サンヤ舞」と「曲舞」を舞う。
この清めの舞のあとに「本跳び」が始まる。
縄跳びのように呉座を跳びますが、この飛ぶ回数が多いほど会場は盛り上がります。
※昔の名人は数百回跳ぶ豪傑もいたらしい。
(アンビリーバボー!)
八船の命(やふねのみこと)と手下の手置方負(ておきほうい)・彦佐知(ひこさち)の三名の掛け合いが楽しい。
家のこけら(木くず)を掃除する金額の交渉がおもしろおかしく行われ、結局ただで、しかも酒を出して請け合うオチ付き。
神歌と共に二柱の神(ふたはしら)が並んで現れます。
左が経津主の命(ふつぬし)右が武甕槌の命(たけみかづち)で、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の使者として出雲の国の主、大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ天から地上へ降りてきた両神です。
神話にある出雲の国と大和の国との国盗り物語を表す能です。
「だいこくさま」とも呼ばれる大国主命の舞いには子供達も大喜びする「餅投げ」があります。
万福袋(まんぷくぶくろ)に入った福餅には清めの意味もありますが、そんなことはどうでもよし!拾うと縁起がいいと言われる福餅を争って取り合う姿は、もはや大人も子供もありません。
秘技・宝刀をくり出し戦うがなかなか勝負がつきません。
このとき幕内から「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と仲裁に入ってくるのが稲脊脛の命です。
俗称「いなし」とも呼ばれる稲脊脛の命は長い鼻毛が特徴で、本当は両神より先に国譲りの使者として地上に降りて来ましたが、使者の役を放棄したことなどから信頼感全くなし!結局事代主命様に相談することになりました。
大の釣り好きの「えびすさま」はビールでもおなじみのあのエビスさんです。釣り好きが災いして片足を鮫に食われたという話があり、片足で跳ねるような舞が織り込まれています。
※どこかの会社にも似たような人がいますね!
「だいこくさま」は国譲りの引き替えに出雲の国の一部をもらい、今の「出雲大社」に福の神として祀られます。
「えびすさま」は美保の岬に妻と二人で「美保両神社」に、「いなしあげ」は、さぎの浦に「さぎ大明神」としてそれぞれ祀られます。
せっかくまとまった話をおもしろく思わない神がいました。建御名方命(たけみなかたのみこと)です。俗称「黒鬼」
顔は似てませんが「だいこくさま」の次男で「えびすさま」の弟に当たります。
両神はこれを迎え撃つ準備運動を入念に行います。
これが「両神の幕掛かり」です。
夜もすっかり更けた頃、ここで小さな子供達は一変に目が覚めます。そうです!「こわい・こわい・こわい」顔をした鬼の登場です。
舞う太夫の中にはわざと小さな子供の近くに行き、その子が泣き出す姿を見てほくそ笑んでいる趣味の悪い太夫もいます。たぶん私が鬼を舞ったら10人は泣かせに行くでしょう・・・・・ヒッヒッヒッ!
両神が神楽面を取り素顔で鬼と戦います。
これは目立ちたい為もありますが(笑)、本当は面をかぶっていると激しい戦いの場面で「見えにくい」・「息が苦しい」・「声が聞き取りづらい」等の理由からはずしています。
戦いはこれまたなかなか勝負がつきません。
仕合はひとまず休戦し、名のり合いが始まります。おそらくここで太夫は息を整えるのでしょう。(ウヒャーわしも歳をとったのー!)
さらに仕合がはじまりついに鬼は打ち負けるのでした!チャン・チャン
神楽もちょうど中頃「中入れ」と呼ばれる休憩時間が入ります。貧しい時代の子供達はこのとき家族といっしょにご馳走を食べるのも楽しみでした。家に帰った後も神楽の話題で賑わい、対話のある穏やかな家庭が昔は多かった様な気がします。
このときに「花」と呼ばれる寄付金をしてくれた人達の名前の読み上げを行いますが、この「花」には神楽社中や世話人へのものや、お目当ての太夫へ個人的に宛てたもの(ひいき花)などもあったそうです。
この舞いは依頼者から頼まれたときには舞いますが、普段は省略されることが多い演目です。
翁(おきな)と媼(おうな)が八岐大蛇(やまたのおろち)に多くの娘が喰われ、たった一人残った末娘希稲田姫(くしいなだひめ)を助けてほしいと素戔鳴命(すさのおのみこと)に懇願する。
この希稲田姫を素戔鳴命に差し上げることを条件に八岐大蛇退治の約束をする。
その美しさで人気の高い「希稲田姫(くしいなだひめ)」の女舞は、神楽唯一の女舞いで、その優雅な姿に男性客はやがて「ヤンサ唄」の絶頂を迎える。
希稲田姫は「うちかけ」をはおり、素戔鳴命と祝言(結婚式)を行う。
俗称「まつのおさん」で有名な松尾明神は素戔鳴命(すさのおのみこと)の命を受け八千石の毒酒を造る為に舞い降りた神です。
後に黄玉明神(きなだまみょうじん)俗称「きなやん」が加わり、人気の酒造りの演目となります。
神楽最大の人気演目は間違いなくこの松尾明神と黄玉明神の掛け合いである。
八岐大蛇(やまたのおろち)を酔わせる為の酒造りの模様をコミカルなおしゃべりで楽しませてくれます。
地域の話題なども織り交ぜ、ユーモアたっぷりに笑わせてくれる掛け合いは観客が一番楽しみにしている演目です。
子供達が一番楽しみにしている舞はこの大蛇退治ではないでしょうか。
あたかもウルトラマン対怪獣の戦いを見るような目でどの子の目も釘付けになります。
最近では大蛇のリアリティが増し火を吐いたりだんだん大仕掛けになってきています。
複雑に絡み合う大蛇は神楽最大の激しさを見せ、ついに力つき、首を切り取られるのでした。
討ち取った大蛇の尾先より一刀の剣が出てきます。これが「天のむら雲の剣」です。
出雲の製鉄「たたら吹き」の興りを示唆しているそうです。
裏話・・・
昔は神楽会場が民家で行われることが多く、神楽が終わった後は会場となった家の周りがゴミや酒や排泄物の臭いで包まれ、鬼より怖い奥さんとの終わりなき戦いが始まるのであった・・・・・。
「やんさ唄」は舞い手のセリフが無いような場面が続く時、神楽をよく熟知している観客から自然に歌われる地唄のことです。
昔は神楽好きが大変多く、誰か一人この”やんさ”を歌い始めると大勢がそれに続き肩を組んで大合唱したそうです。重要な場面に差し掛かると、どこからともなく「東西東西(とざいとーざい)」と”やんさ”を歌っている人たちを黙らせる為の声があがり、歌っている者もマナーを守り静かになります。
この地方の神楽は舞い手と会場が一つになって盛り上がる全員参加のまつりごとだったのです。
この”やんさ”には別の一面もありました。神楽を見に来ている娘たちをひやかすような内容もあり(即興唄で)、男性が大声で歌って女性の気を惹こうとしたり、女性も誰がその唄を歌っているか(恥じらいながら)そっと振り返って確認したり、当時の若者達の純情な一面や、初(うぶ)な恋心も見え隠れするそんなステキものだったのです。
自動車もない時代、神楽があると聞くや胸はずませ遠方へ何時間も歩いて神楽場へ駆けつける・・・・そんな良き時代を過ごせた昔の人を羨ましく思うのは私だけではないはずです。お年寄りが今でもこの神楽を楽しみにしている理由が少しわかるような気がしますね・・・・。
しかし現在ではこの唄を伝承する人も減り、あまり神楽場でこの”やんさ”を聞くことも少なくなってきています。
この度の足立会館のこけらおとしでこの”やんさ”が僅かですが歌われ、懐かしさに涙したご老人もいたようです。そのうちこの貴重な「やんさ唄」の音源などもこのホームページで紹介できたらいいと思っています。
メンバーの募集については随時行っていますが、やはり貴重な伝統芸能を大切にする意味でも、まじめに・本気でやっていく気持ちの人を希望します。それ以外は特に問いません。
練習は神郷町「神楽の館」にて毎週月曜日夜7:00頃から行っております。練習見学も可能ですので、興味ある方は是非遊びにいらして下さい。